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あってはならない、否定できない可能性――最悪の終末。
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#11
【IF Another despair】奈落の花

My heart leaps up when I behold

(空に虹を眺めるとき)

A rainbow in the sky:

(わたしの心は弾む)

So was it when my life began,

(生まれた頃はそうであった、)

So is it now I am a man,

(大人となった今もそうである、)

So be it when I shall grow old,

(年をとってもそうだろう、)

Or let me die!

(さもなければわれに死を!)

+++++

午後二時五十分に執務の区切りをつけた"宗主"は、長いその髪を束ねていた。デスクより『古びた眼鏡』を取り出しそれをかける。もう十年は使い込んでいるであろうその眼鏡は、未だに歪みも無く、傷も少なく、己が役目をしっかりと果たしていた。

姿見に自らを映し、確かめる。かつて自分が纏っていた『仮面』が其処にあるかどうかを慎重に検分する。あの時の姿をまだ保っているかを確かめる。懐古主義でも逃避でもない、それもまた"宗主"の仕事であった。

「……準備が整いましたか、"宗主"様」

執務室警護に就いている親衛隊の一人が声をかける。声色には少しの震えがあり、それはまるで戦場に向かう新兵の如き口調であった。

「問題ありません。第一種防護装備の上、いつもの場所に」

+++++

かつてこの鎌倉封鎖特区には『銀誓館学園』と呼ばれる場所があった。今はもう歴史を語る単語の一つに過ぎない『世界結界』を守るため、集められた能力者たちの学び舎。血塗れの青春を送る檻。彼らを閉じ込めた大人たちは、今は自らの都合で鎌倉そのものを檻とし歴史そのものから特区を切り離そうとしていた。

痛みや苦しみだけではない、柔らかな記憶。特区にて絶望を生きる"化け物(フリークス)"たちが捨てきれぬもの。それが『銀誓館学園』という単語には未だ眠っている。それを忘れるため、そこに己を逃げ込ませぬため、彼らは己の名をしまい込んだ。引き換えに新たな二つ名を自らに刻み生きることを彼らは選んだ。

もう、あの頃の自分は居ないのだと。

+++++

皺一つない学生服を着込んだ"教主"と、地上に存在する異物を全て拒否したかのような重武装で固めた兵士が二人。立っているのは、過剰なまでにセキュリティが張られたエレベータ前。

そこにたどり着くまでに三重もの詠唱銀拡散防護壁を超え、監視カメラによる入室者完全監視の上エレベータ起動までには"宗主"による認証を含めた複数回の作業が必要となる。そこまでしても、彼らの顔には安心というものが存在していなかった。

「……エレベータを起動します」

兵士の一人が宣言すると、一つしか存在しない階数指定のボタンを押下した。

チン。

その空気にはあまりに不釣合いな音。重厚なエレベータの扉が開く。

「……貴方達は此処で待機して下さい。万が一三十分経っても私が戻らなかった場合、直ぐに教団施設を放棄し退避を。間違っても追ってきてはなりません」

特区の暴力そのものとされる"宗主"の言葉である。普段であれば笑い飛ばされるべきそんな戯言も、兵士達は流しもせず、真顔で頷いた。……その表情さえも伺い知れぬ重装備の彼らが、頷いた。

「先日、同席した者は15分で詠唱銀中毒反応を引き起こし死亡しました。それを忘れぬように」

時計はもうすぐ、午後三時を指そうとしている。

+++++

晴れやかな空、湿気の少ない気持ちのいい空気。『其処』で微笑むように咲く花たち。決してきらびやかな美しさではないけれど、それぞれが確かな愛らしさを持っていた。鳥達は木々に留まり、楽しそうに歌っている。幸せな時間と空気を享受しながら。

「上人さん、遅いなぁ。せっかくの紅茶が冷めてしまいます(^^)」

『其処』は植物園だった。中央に置かれた純白のテーブルに椅子が二つ、いずれも『彼女』が選んだもの。淹れたてとおぼしきティーポットと、食べやすいサイズに切られたパウンドケーキ。カップにはテーブルを囲む花々をイメージさせる柄が入っている。

「こーら、駄目ですよ。このケーキは上人さんが食べるために出したんですから。めっ(^^)」

テーブルに近寄ってきた鳥達に微笑みながら声をかける。鳥達はその声に応えるかのように木々へと帰っていった。

足音。

「……ああ、申し訳ない。遅れてしまいました。傭兵団の書類整理が溜まっておりまして」

木々を抜けやってきた『彼』はそう言うと椅子の片方に腰を下ろした。穏やかに微笑みながら、カップを『彼女』の前に置き、ティーポットから紅茶を注ぐ。

「もう、上人さんたら。お客様なのだからそういう事は私に任せてください(^^)」

パウンドケーキをお互いの手元に置きながら、『彼女』は微笑んだ。

+++++

お互い何を喋るでもなく、ただ空気を楽しむかのように紅茶を味わう穏やかで優しい時間。時折懐いてくる鳥達に、二人で笑いあう。

「もう、困った子たちです。上人さんが来るといつもこうなんだから(^^)」

「いいですよ。むしろ可愛らしくて大歓迎です。ほら、私がこういうの大好きなの知っているでしょう」

パウンドケーキが半分欠けた頃、『彼』は口を開いた。

「……そうだ、レインさん。うちの植松のことでお願いがありまして」

「まあまあ、はじくんがどうかしましたの?もう、いつもはじくんは上人さんに迷惑かけてばかりで(^^)」

ケーキをつまみながら、『彼』は苦笑いしつつ言葉を続ける。

「いえいえ。彼にはいつも助けられていますよ。我が傭兵団にとって欠かせぬ人材です」

「わかってますわ」

パチリ、と何かが弾けたような音が耳の奥から響いた。

+++++

「……ッ!空気中詠唱銀濃度上昇!?」

「落ち着け。あそこではよくあることだ」

「だが、これは……」

「あの人が30分待てと言ったんだ。それまでは何があっても俺達は動く必要は無い」

「なあ、本当に大丈夫なのか?」

「別に大丈夫じゃなくてもいい。駄目なら俺達は逃げるだけだ」

「化け物同士食い合うなら、それも良いだろうよ」

+++++

『彼』は苦笑いをして、軽く頭を下げる。

「失礼しました。……彼の事は、あなたのほうが良く知っていますものね」

『彼女』は少しむくれた顔をして、すぐに穏やかな微笑みに戻った。

「もう。上人さんにはじくんを取られてから、ずっと寂しいんですよ。非常階段にも全然顔を出してくれないし(^^)」

気がつけば、植物園を照らしていた太陽は雲に隠れてしまった。雲行きは怪しく、花々も心なしかその美しさに陰りを見せている。

「あら、どうしましょう……雨が降ってしまっては、お茶会も出来ませんね(^^)」

あわあわとティーセットを持って、『彼女』は植物園をうろうろしている。それをしまう棚は何処にも無いと言うのに。

「では、手短に申し上げましょう。植松くんがですね、私達の敵対勢力に狙われてしまいまして。それの解決をお願いしたいのですよ」

遂に空模様は曇天から雨を導き、雷を伴い二人を打ち始めた。

「はじくん、が?」

「ええ。来訪者なのかゴーストの集団かは知れませんが、このままだと最悪彼の身に危険が及びます。よろしければ、貴女の力を借りたい」

「はじくん、が、危ない?危ない目に遭っているのですか?」

「私の力不足で申し訳なく思います。彼の事をよく知る貴女なら、きっと助けに…」

雷光が轟音を伴い、二人を照らす。

「行きます。はじくんは、誰にも、傷つけさせない」

+++++

「……植松くんを狙う勢力は"祈らず(ノンプレイヤー)"と名乗っています。彼らは非常に危険だ。交渉の余地はありません。見つけ次第殲滅してください」

「はい。上人さんがそう言うなら、間違いないのでしょうね(^^)」

雨は二人を叩き、その身を濡らす。

いつしか『彼女』は真っ白なローブを纏い、言語では表現できぬ形状をした念動剣をその周りに浮かせていた。花々は散り、木々は薙ぎ倒される。最早豪雨ではなく嵐が其処を襲っていた。

「何も出来ない私に声をかけてくださってありがとうございます、上人さん(^^)」

「いえ。……以前から貴女のことはずっと評価していました」

「貴女は、とても、強い人だ」

+++++

ちょうど三十分後。エレベータが反応を示し、二人の人物が『教団特別監獄』より降り立った。一人は"宗主"。もう一人は純白のローブを素肌に纏った、美しい緑色の髪を持つ女。

兵士達は彼女の姿に見惚れる間も無く、体中の穴という穴から植物の蔦を生やし死んだ。

「はじくん、待っててね。はじくんは、レインのこと、大好きなんだものね(^^)」

+++++

【本情報のセキュリティレートは最高ランクとし、防衛省所属の人間を除き閲覧を禁ず】

教団能力者部隊『黙示録の獣(リヴァイアサン)』

#01

"嵐公女"レイン=リングメイデン

某人物(現在特定できず)との別れから精神に異常を持ち、その歪みから詠唱銀に対し極端な反応を示す。その結果、記憶の混濁及び感情制御能力の喪失と引き換えに防衛省能力者管理基準において"宗主"に次ぐ危険度SSランクの能力を獲得した。

要抹殺対象。

対応の際は十分な軍事力を以て臨むこと。

+++++

The child is father of the Man:

(子は大人の父である)

And I could wish my days to be

(私の人生の日々が)

Bound each to each by natural piety.

(自然への敬愛により結ばれますよう)

William Wordsworth -A Rainbow-
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